はーいどうも
歴史上最大版図を築いたモンゴル帝国ですが
今回はその強さに追求したいと思います
ブロガーは歴史研究者ではないので
独学の知識と偏見まみれなので
その辺はご了承下さい。
理由その1
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遊牧民なので馬が豊富だった事が
1つ挙げられます
日本でも馬は使ってましたが
偉い人が乗るぐらいであんまりいませんでしたので
高価でした。
武田騎馬隊は創作と言われます。
モンゴル帝国の場合は
1人つき馬を5頭から7頭を持って
戦場に出たのでずっと馬で移動出来る
距離がべらぼうに長かったと言われています。
1日に70~80kmで歩兵の限界は30kmと
言われます
鉄道が出来るまでモンゴル帝国は
地上最速を誇ってた言われる所以です。
理由その2
戦法の違い
普通の軍では接近戦をするのが当たり前でしたが
モンゴル帝国の場合は
敵の攻撃が当たらない場所からの
ロングレンジが主流なので
矢を撃って敵が近づくと逃げながら矢を撃って
敵が逃げると追いかけながら矢を撃つという
最強の戦法なので
ほぼ無傷で勝利して次の戦場に
移動するってスタイルでした。
この戦法を鉄砲なしで攻略する方法は
多分ないでしょう
理由その3
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騎射がモンゴル帝国では全員出来るのが
強みです。
江戸時代では騎射は武芸としては
最高の難易度だったので出来るだけで
凄いと言われてたぐらい難易度が高いのです。
現代で言えばバイクに乗りながら
弓を命中させることをしてるのと同じ
なんでその事を考えれば
以下に難易度が高いか分かるはずです。
モンゴル帝国では生まれた時から
死ぬまで馬の上で過ごすと言われてる
ぐらい馬に乗ってるので
その練度の高さにあります。
理由その4
徹底した諜報活動
侵攻する前には十分に情報を集め、
敵方の内情も調べており、それを用いて
敵が連合軍の場合、それらの一部に対して
取り込みを計ったり、中立を勧めるたり
といった調略を行ったりもしています
敵の弱さを徹底的を突くスタイルだったみたいです。
理由その5
火薬や最先端技術を使った
鉄砲(てつはう)などが有名ですが
鉄砲(てつはう)は威力は十分あった説があり
鉄の玉には釘などを詰め込んでみたいで
炸裂すれば周囲の人間にケガを負わすだけでは
なくて爆音でビビらせてから
攻撃したとも言われてます。
何故そんな強かったモンゴル帝国が
日本の当時鎌倉幕府を倒せなかったのかは
長くなるのでまた違う機会で
説明したいと思います。
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今回はこれで終わりです。
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